自分たちで動画制作!インハウス(内製化)テクニック③    シナリオ編 其の二 「面白さの正体」 注目されるコンテンツを作るポイント

「面白いコンテンツは注目される」「面白いコンテンツは見られる」

映像や文章コンテンツのシナリオを作る際、よく耳にする言葉ですよね。しかし、「面白い」とは具体的にどういうことなのでしょうか。

「面白さ」は人によっては「おいしい」と同じく主観的なものだから、その基準は人それぞれ、と感じる人もいるかもしれません。それも確かに一理あるなと思います。

私はテレビ番組制作経験の中でプロデューサーから「面白いものを作ってよ」と言われ、悩みながらも他の「面白い」とされる番組や映画、CM、企業HPなど様々なコンテンツを参考にして、制作を続けてきました。さらに二年ほど前、小説の執筆も経験もしたことから、映像、文章と表現方法やジャンルを超えて共通する様々な「面白い」を形作る為の要素に一端に気付くことができました。いわゆる「面白さの正体」です。

今回は、その「面白さの正体」についてのポイントを2回に渡ってご紹介します。情報発信のためのコンテンツ制作で企画やシナリオを作る際、皆さまの参考にしていただけたら嬉しいです。

「面白さとは『共感と差異』」

昔、あるテレビプロデューサーが書いた記事で「面白さとは『共感と差異』である」という言葉を見ました。読んだのは、ちょうど私が「面白い」コンテンツを作ることに悩んでいた数年前。タイミングもあって、この言葉は当時の私にとってとても印象に残るものとなりました。それは自分の経験からも大いに共感でき、理解できるものだったからです。

「共感」とは、それが表現されたコンテンツに人が見る・読むなどして触れた時「この感覚、わかる」と感じられること。共感はそれに触れた人にその内容への感情移入を促し、結果的に、そこで表現されたものへの興味や好奇心を掻き立てます。

例えばあるグルメ番組で、あるお店の鉄板の上で焼かれているステーキ肉のしずる感ある映像と、ジュウジュウという音が表現された場合。視聴者は「おいしそう」だと感じるでしょう。さらにタレントがそのステーキを満面の笑みで食べている様子が映し出されれば、「食べてみたい」と思う。そして「どこのお店だろう?」「なんの肉だろう?」などの興味や好奇心が沸いてくるのではないでしょうか。

この感覚は一度でもステーキを食べたことのある人であれば「共感」できるものなのだと思います。映像には匂いも味もありませんが、表現から視覚や聴覚情報を元に記憶を引き出し、かつて自分が味わったステーキの「おいしい」味の体験を蘇らせ、そのことによって感情が動く。「またあの経験を味わいたい」だったり、「その感覚、私も味わったからわかる」だったり。

そんな感情が沸いている状態がいわゆる「共感」なのだと思っています。

一方の「差異」とは、例えば「万年補欠の高校野球チームが全国優勝!」や「年商500万円の地方零細企業がわずか15年で上場企業に!」といったギャップのこと。

シナリオの企画においても、この「共感」「差異」が、自社商品やサービスの情報のどこにあるかを整理し、見つけることが重要です。実際、私もテレビ番組制作の取材段階で、常にこのポイントを探すことに注力してきました。このポイントを見つける事は「面白い」コンテンツ作りの初歩。「面白そう」と思ってもらう為の最初の工程です。

番組の宣伝CMで言えば、30秒程度で紹介される番組タイトルと煽り文句。

小説でいえば、帯や巻末に載る1~2行のあらすじ。

ここだけで視聴者や読者は「面白そうかどうか」を判断し、実際に時間を使って視聴するのか、本を購入して読むのかを決めるのではないでしょうか。

コンテンツを作るということは表現者になることと同じなので、企画段階でこの「タイトルとあらすじ」をどう描くかで、ターゲット層に「面白そう」と思わせることが大切です。私もこれまでコンテンツ制作では、この段階から毎回、覚悟を決め、悩みながら取り組んできました。まさにここから勝負は始まっているのです。

「面白さ」を高める「具象性」

「面白さ」を高めるために重要な要素の一つは「具象性」。つまり「具体的であること」です。

映像であれば、はっきりと目に見えるものとして表現されている風景や商品、人物、会社名や物語のタイトルなどのビジュアル。文字通り「明確なもの」が映像として描かれます。またはっきりと聞こえてくるBGMや効果音などについても同様のことが言えるのではないかと思います。これが抽象的であると物事が掴みづらく、理解もしにくいものとなってしまいます。

この事は小説でも同じです。この事には2年前、小説を書き始めたときに気付きました。映像表現に任せていた部分が小説では文章として書かないと伝わらないのです。(考えてみればとても当たり前のことですが)

むしろ小説は映像にもまして具体性がなければ書けません。しかし、フォーカスを当てる部分は慎重に決めないと「面白い」作品にはならないことも学びました。

ある男性がカフェでコーヒーを飲んでいる場面があったとします。

その様子をただ映像の代わりとして文章で表現しようとすると、分量は膨大なものとなります。男性の顔立ちや服装、飲んでいる飲み物の種類。テーブルやいすの形状や時間帯、場所の雰囲気などあらゆることを書かなければなりません。そしてそれを書いたところで、読み手にとっては「説明」でしかなく、面白いものではありません。

フォーカスとは、この場面で物語に沿って、この男性の場面を描く際に最低限、何が必要かということに焦点を当てることを意味します。

例えば、この男性が19歳の大学生で、同級生の女性とカフェで待ち合わせをして何かを話し合う、という状況である場合。これが恋愛小説であれば、男性の顔立ちや服装に合わせて、その時間帯、そして心情にフォーカスが当たっていればあとはとりあえず、必要ありません。それを書き出しから読者のことを考え、興味関心に沿う形で文章を考えて書いていくことで、「面白い」に繋がるストロークを作ることができます。

また、このことに関連して「小説」とは「小さな話」であり、それが「面白い」に必要だという事が言えると思います。

「小説」は必ず一人の人間から始まります。登場人物の名前、年齢、性別、職業、性格、住んでいる場所、日々の生活など、具体的な所から話が始り、その人の繊細な感情の機微を文章によって辿ることで物語が進んでいくのです。その為、映像とはまた違った部分で小説はとても読者が感情移入しやすく、没入しやすいと言われています。私も一読者の立場としても、書き手としても、そう思います。でも、具体的で詳細な出来事ばかりが続けて書かれていくだけでは、面白くはないと思います。それは「いつだれがどこでどうした」という事象の羅列に過ぎない。

じゃあどうしてそれが面白くなるのでしょうか?

私は映像制作の経験の中で何となく面白くなる瞬間を感じ、それがプロデューサーのチェックを経てそれが「面白い」コンテンツになる瞬間を経験していましたが、それが具体的に何なのかがまだわかっていない時期がありました。

 でもある時、ある小説家が講演の中でこんなことを言っていたのです。

「この具体的な物語が展開していく中で、それが普遍性に触れる瞬間がある。それがその物語が「面白い」小説になる瞬間だ」

この話を聞いた時、私の中の「面白い」というものについてあやふやだった部分が一気に氷解し、理解が追いつきました。

なるほど、思えばこれまで作ってきた映像コンテンツも「面白い」と言われるものになるまでに、このような過程を経てきた、と実感できたのです。

それは例えば、こういうことです。

ある番組で山村の農家である70代のAさんを取材するとします。Aさんが有機栽培で育てる里芋やダイコンを収穫し、家族と料理して楽しむ姿を映し出します。この時点で描かれているのはAさんの「個人的な生活の一部」です。

やがて、息子との会話やにぎやかな家族の風景を通して、Aさんの背景が少しずつ明らかになります。

息子は就職のために県外に移ることが決まっており、Aさんの畑は100年以上続く先祖伝来の土地だということも判明します。そして、収入の不足から息子は農業を離れる決断をしたという現実も浮かび上がります。

ここで映像は、静かに一人で畑を耕すAさんの姿へと切り替わります。にぎやかだった映像から一転、広い畑で一人作業するAさんの横顔が映し出され、「〇〇村では年々、県外へ移住する若者が増えており、過疎が深刻化しています」というナレーションが入ります。この時点で、Aさんの生活は「過疎」という社会課題を象徴する存在となり、個別の話から普遍性を帯びた物語に変わります。

この物語を「面白い」と言葉で表現することには語弊があるかもしれません。ここで私が伝えたいのは、あくまでも物語を構成する手法として具体性を適切な順序で重ねていった場合、このAさんの物語は興味深いものとして伝えられる、という事実です。

もし、この物語が最初から「過疎についての物語です」として始まったらどうでしょうか。

恐らく視聴者はお題目を押し付けられているような気持ちになり、物語には感情移入しにくくなって、興味も持ちにくくなってしまうのではないでしょうか。具体的な日常の中から普遍的な社会課題へと視聴者の意識と興味を誘っていく。このようなことを実現する構成こそがストーリーテリングであり、「面白さ」を生み出す重要な要素なのです。

「面白さ」を決定づける順番

この「面白さ」を保証するためには「どのタイミングでどんな情報をどのように表現するか」が肝要です。その事例として、あるバラエティー番組のプロデューサーから聞いた話を例に挙げます。

司会者とタレントが話す場面。画面下手には司会の中年男性が、上手には若い男性タレントが座って対談しているとします。

司会:「最近、いい休日だったなって思ったことは?」

タレント:「この前の休みに焼肉食べに行ったときですかね?」

司会:「どうしていい休日だと思ったの?」

タレント:「友人と二人だったんですけど、街歩いていて偶然気になる焼肉店に入ったんですよ。そこ、めちゃくちゃ美味しくて」

司会:「でも、そんな店なら結構、値段したんじゃない?」

タレント:「そうなんですよ。結局、二人で10万円も払いました」

司会:「ええ!二人で10万円!?」

この会話の流れを見ていくと、最後は少し面白いと感じる部分はあるものの、前半は少しくどい印象を持たれたのではないでしょうか?では、このやりとりを順番を変えてみるとどうでしょうか。

司会:「最近、いい休日だったなって思ったことは?」

タレント:「この前、10万円分の焼肉食ったときですかね」

司会:「えっ?10万円分!一人で食べたの?」

タレント:「いや、友人と二人で…」

いかがでしょうか?触れている情報は変わりありませんが、順番を少し変えただけで面白味が数段、増したのではないでしょうか。また後半を端折っているとは言え、分量もぐっと短く端的になったのではないかと思います。

このように、情報の出し方や順番を少し工夫するだけで、コンテンツの印象は大きく変わります。

「面白さ」を生み出すには、情報のタイミングや順序も大切な要素と言えます。

次回は引き続き、「面白さの正体」シナリオ編第2回目として、視覚的な演出や具体的な表現方法について掘り下げます。